「ちゃんと役に立たなきゃ」と思いすぎて疲れ切っていた話!

私は長い間、「役に立つ人でいなければならない」と思い込んでいました。誰かの力になれている実感がないと、自分の存在価値が薄れてしまうような気がしていたのです。だからこそ、頼まれごとにはできる限り応え、場の中で何かしらの貢献をしようと常に意識していました。
その姿勢自体は前向きなものに見えます。しかし、気づけば「何もしていない時間」に強い不安を感じるようになっていました。ただそこにいるだけでは足りない、何かを提供しなければいけない。そんな思いが、心を休ませる隙を奪っていったのです。
【体験談】
ある集まりの場で、私は自然と周囲の様子を観察していました。困っていそうな人はいないか、話題が途切れていないか、自分が何か補えることはないか。気づけば会話そのものよりも、「どう役に立つか」を考えることに集中していました。
その場は穏やかに終わりましたが、帰宅した途端、強い疲労感が押し寄せました。特別な出来事があったわけでもないのに、神経が張りつめていたのです。「今日はちゃんと役に立てただろうか」と振り返る自分に気づき、どこか息苦しさを感じました。
【失敗談】
一番の失敗は、「役に立つこと=存在価値」だと結びつけていたことです。誰かの役に立てなかった日は、自分の価値が下がったように感じていました。
さらに悪かったのは、頼まれてもいないことまで背負っていたことです。「自分がやったほうがいいかもしれない」と先回りし、無意識に責任を増やしていました。その結果、余裕がなくなり、小さなことで苛立つことも増えました。役に立とうとするほど、心がすり減っていったのです。
【改善したこと】
この状態を変えるために、最初は「もっと効率よく動こう」と考えましたが、それでは本質は変わりませんでした。そこで視点を変えました。
・何もしなくてもその場にいていいと決める
・頼まれたことだけに集中する
・役に立つかどうかを基準にしない
特に大きかったのは、「ただ一緒にいることも意味がある」と考えるようになったことです。最初は落ち着かず、何かしなければという衝動がありました。それでも意識的に一歩引いてみると、周囲は特に困っていないことに気づきました。自分がすべてを補わなくても、場は自然に回っていました。
【結果】
次第に、肩の力が抜けていきました。役に立つことを目的にしなくなると、かえって自然な関わりが増えました。無理に何かを差し出さなくても、必要なときには声がかかる。その流れに任せられるようになりました。
また、自分の中で安心感が生まれました。役割がなくても、その場にいていい。何かを提供していなくても、関係は続く。その実感が、これまでの緊張を少しずつほどいてくれました。
【まとめ】
疲れ切っていた原因は、思いやりが強すぎたからではありませんでした。失敗を通して学んだのは、役に立つことと存在価値は同じではないということです。
何かをしてもしなくても、自分はそこにいていい。その前提を持てたことで、ようやく自然な形で人と関われるようになりました。今は、無理に役割を探さなくてもいいと思えています。